沿革・歴史
沿革・歴史

弘行寺(ぐぎょうじ)は天台宗の寺院で、正式には「玉明山、山王院、弘行寺」と号し、長生不動尊として知られている。
寺史によると、天禄二年(971年)十八代天台座主慈恵大師良源(元三大師)によって創建されたといわれ
上総の国の祈願道場として、約壱千年の間ご祈願を行い、皆様にご利益をお授けしてきた歴史と由緒のある鷹司松平家家紋 寺院である。
創建当初は如願寺(女元寺)と称し、現在の弘行寺の南に位置する浅間山付近(玉垣神社向かい)に堂宇が建立されていた。なお、浅間山は、宝剣が出土するなど古墳として知られている。
時代は下って江戸時代中頃、元禄二年七月二十八日に、長柄郡下之郷村のご領主である松平信平公(松平長七郎長頼)がご逝去されたため、その翌年元禄三年(1690年)中興の祖である恵観上人は、浅間山から現在の地に移し、寺名を弘行寺(ぐぎょうじ)と改名し、信平公の菩提を弔ったとされる。
その後大正八年(1919年)二月二十五日、睦沢町一帯を襲った大雷雨により、本堂・庫裏・不動堂が立て続けに焼失。阿弥陀如来立像、地蔵菩薩立像、伝教大師像など数々の寺宝が焼失(かろうじて過去帳は残った)するも、不動明王立像は檀家の方々によって救い出され、難をのがれたといわれている。
大正の火災の後、山門は同区の旧家で土睦村初代村長の中村甚五兵衛方にあったものが寄進され、現在の本堂・庫裡は、昭和四十八年に檀信徒の皆様の力により建立された。
ご本尊の長生不動明王は、片岡住職が赴任した平成二十年五月、本堂にある厨子の裏に置かれていた二体の仏像を見つけ、茨城県にあるNPO古仏修復工房・飯泉太子宗先生に鑑定を依頼した。その結果、一体は光背が鎌倉時代のもので、首が江戸時代にすげかえられるなど後世の修復が多いものの、肉取りが穏やかな平安後期(900年~1000年)の不動明王立像。
もう一体は江戸時代と近世の作ながら、胎内にも金箔を施した阿弥陀如来立像で、いずれの仏像も全国的に珍しく、文化的価値の高いものであることが判明した。
現在は、月一回の座禅・写経会(毎月最終土曜日)や報恩感謝の法要とお茶を振る舞う山家会・茶々会(六月)、採燈護摩で皆様の諸願を祈念する初不動護摩祈願 (一月最終日曜日) などが行われている。
ご本尊のエネルギーと、檀信徒の篤い信仰心によって弘行寺は、現在も日々進化し続けている。












